<13>惣兵衛堤防(高森町下市田)  巨石に宿る治水の祈り 天竜川の洪水が多発していた高森町下市田で新田開発を進めるため、飯田藩主堀親長が石工の中村惣兵衛に命じてつくらせた堤防。一七五二(宝暦二)年に完成した。 総延長百四十六メートル、高さ四メートル。築造に使われた巨石は一七一五(正徳五)年の未の満水時、大島川から土石流によって運ばれたもので、道に竹を敷き、そりに乗せて運んだと伝えられる。 堤防工事と合わせて用水路の開削も行われた。この用水路は市田では大井(天竜井あるいは間夫井[まぶい]とも)と言い、座光寺や上郷(ともに飯田市)では、内井・中水門、前川・中川・大水門とそれぞれ呼ばれる。 一九六一(昭和三十六)年夏、伊那谷を襲った大豪雨の三六災害で破堤。堤防の巨石は、九三年の親水護岸工事で河床から掘り出され、現在の堤防の後方に置かれている。 洪水のたびに補強工事が施されてきた惣兵衛堤防。豊かな農地を自ら守るため、多くの人たちが工事に関わり、試練を乗り越えてきた。巨石には、治水を祈って黙々と働いた人々の思いが込められているように感じた。(札木良)