<23>時又港(飯田市時又)  "川の道"にぎわい今は昔 天竜川はかつて、物資を輸送する舟運が盛んだった。江戸時代にはじまった舟運は、明治の終わりから昭和初期にかけて最盛期を迎え、多くの舟が信州と太平洋を結ぶ"川の道"を往来。レジャーとしての舟下りも人気を呼んだ。 今も残る時又港は、舟運の拠点として造られた。下りの舟は米や柿を載せ、上り便には魚や茶、塩などが積み込まれた。道路や鉄道が整備されていない時代、舟は大量の物資を安く運ぶ重要な交通手段だった。 明治二十四(一八九一)年、英国の宣教師ウォールター・ウェストンが舟下りをすると、天竜川は海外でも一躍有名になった。時又と中之島(現浜松市)間では、多くの定期客舟が運航。時又港を訪れる外国人の利用客も増え、近くには旅館や料理屋、カフェなどが軒を連ねた。 しかし、昭和初期以降に天竜川で発電所のダム建設が続くと、航路を失った舟運は途絶えた。現在は舟下りの観光舟が、上流の弁天港と時又港間で運航するだけとなった。静かな時又港から、かつての賑わいを想像するのは難しい。それでも、川は昔も今も変わらずに流れ続ける。(中山道雄)