第2部 Fびったら橋 岡谷市 暮らし支えた石と板の橋  岡谷市の釜口水門から下ることおよそ1.2キロ。橋原橋のたもとに、人ひとり渡ることができる程度の板を載せた石が並んでいた。目の前を流れる天竜川を渡るための橋台だったとは思えないほどの大きさだった。  江戸時代には諏訪湖の排水を妨げるような大きな橋を架けることが許されなかった。人々は渡し舟か、川の中に据えた石に板を渡しただけの橋で行き来したという。歩くと板がたわみ、川面をびたびたと打つ橋は「びったら橋」と呼ばれていた。  今でこそ頑丈な護岸の間をとうとうと流れる天竜川だが、掘り下げが行われる前は川面が岸から近く、川沿いの家にはカニがはい上がってくるほどだった。近くに住む花岡曹伍さん(79)は、「深いところに大きな石が二つ、浅いところに小さいのが五つあって、板を渡してあったようだ。昔はこんなことを年寄りが縄ないをしながら教えてくれたもんだ」と話していた。  (文・倉田高志、絵・片桐美登)