<17>姑射橋(伊那市川路)  中国の古代伝説に由来 天竜川の景勝地「天竜峡」にあり、東の龍江地区と西の川路地区を結ぶ。四回にわたり架け替えられ、初代は一八七七(明治十)年に竣工。四代目は一九七一(昭和四十六)年に完成し、現在にいたる。「信濃の橋百選」にも選ばれている。 姑射橋の名前が定着したのは二代目のつり橋以降で、それまでは太田橋と呼ばれていた。一八八二(明治一五)年に書家で詩人の日下部鳴鶴が天竜峡を来訪。絶壁に架かる橋を見て、中国の古代伝説の不老不死の仙人が住む仙境「貘姑射山」に通じる橋に見立て、姑射橋と名付けた。 三代目は東京・お茶の水の「聖橋」を模した下部アーチ橋。一九六一(昭和三十六)年の三六災害を機に撤去され、橋の門柱と袖垣は龍江小と川路小の校門に移設された。 現在の橋は、全長約八十九メートル。橋から下流を眺めると、角張った岩が重なり合って川幅が狭まる。この橋が分岐点となり、天竜川流域は耕地から山岳地へと表情を変え、人々を急峻な山々へといざなっていく。(札木良)