<22>諏訪形の猪垣(伊那市西春近)  動物と人間 闘いの歴史 イノシシ、シカなど野生動物による農作物の被害を防ぐため、江戸時代に築かれた猪垣の跡が残る。一九九四年に伊那市史跡の指定を受け、土塁の上に乱ぐいを連ねた木柵が復元された。 猪垣がいつ造られたのかは定かではないが、寛保元(一七四一)年と文化五(一八〇八)年に大規模な修繕工事が行われた記録がある。文化五年の工事では複数の村が協力し、延べ七千人以上もの村人が働いた。 命の糧の農地を守る村人にとって、猪垣は獣を山に追い返す最後のとりでだった。木柵は現在の宮田村まで続いていたとされ、多くの労力と資金が長い間費やされた。 野生動物による被害は今も絶えず、南信濃地域の大きな問題になっている、自治体は駆除に力を入れるが、担い手の猟友会は高齢化が著しい。山に精通し、猟銃を扱える会員が激減する中、現代版の「猪垣」といえる電気柵が各地で見られる。 標高約七百メートル。山裾に延びる猪垣は、野生動物と人間との長い闘いの歴史を物語る。(中山道雄)