第1部 I御子柴艶三郎の井 伊那市  水争いに心痛めて開削 伊那市の市街地西方に広がる台地に水神宮はある。脇には頌徳碑。明治時代、私財を投じ、一命をも投げ打って井戸を開削した御子柴艶三郎の偉業が刻まれている。 小沢川両岸の水争いに心を痛めた艶三郎が井戸の掘削に奔走し、地下水脈を発見したのは1895年。翌年から5本の縦井戸を掘り、それを横井戸で結んだ。約600メートルといわれる隧道から湧く横井清水は分水枡を経て一帯を潤し、約40ヘクタールを水田に変えた。 厳しい残暑の中、同市上荒井の農家の夫婦が分水枡から流れ出る水で小豆を洗っていた。水の行方を尋ねると「西町の方に流れている向こうの筋が南井で、こっちが北井。真ん中のが中井」と指をさして教えてくれた。 住宅建築が進み、一面田んぼだった風景も変わりつつある。だが恩恵は変わらない。小豆洗いの手を休め、「水不足が騒がれた今年の夏も細くならなんだ。みんな艶三郎のおかげだ」と感謝した。  (文・倉田高志、絵・片桐美登)