<6>御子柴艶三郎による井戸(伊那市荒井)  私財かけて水脈を発見 扇状地の末端で、水争いが絶えなかった伊那市荒井の上荒井地区。地元の御子柴艶三郎は用水の必要性を痛感し、水源となる井戸の掘削に奔走した。 長男の新六たちと深さ約十メートルの縦井戸を掘り、一八九五(明治二十八)年十二月、初めの水脈を掘り当てた。艶三郎は私財をなげうって横井戸の掘削を進め、九八年に水脈を発見。成功すれば、「神に命をささげる」と誓った大事業を終え、九九年末に自刃した。 総延長約六百メートルの横井戸のおかげで、一帯の約四十ヘクタールが水田となった。住民らは艶三郎の偉業を後世に伝える「水神宮」を建立。同市伊那小学校の児童たちは昨年度から、その生涯を描いた演劇を市内各地で上演している。水神様と呼ばれた艶三郎は、住民から慕われ続ける存在として今を生きる。 「水神宮」から南アルプスの山々や伊那市街地を眺めると、雄大なパノラマが広がる。命を懸けて挑んだ大工事。水田が潤い、地域が活気づいた姿を思い浮かべながら、艶三郎は旅だったに違いない。(札木良)