<33>木曽山用水(塩尻市−伊那市上戸、中条)  先人の知恵 伊那谷潤す 日本海へ注ぐ信濃川支流である奈良井川の源流・白川から流水し、一九六八(昭和四十三)年まで、権兵衛峠を越えて伊那谷に農業用水を供給した。 中央アルプス北部の経ヶ岳(二、二九六メートル)山麓扇状地の四村(与地、大萱、中条、上戸)は江戸時代、幕府領で、高遠藩が水利権を持つ小沢川からの取水ができなたった。水争いは一七三〇(享保十五)年ごろから明治初期まで及んだ。 用水造りは一八八〇(明治十三)年に開始。三年後に完成し、上戸・中条村(現在の伊那市)を潤す約十二キロが木曽山用水と呼ばれている。 権兵衛峠は日本海と太平洋の分水嶺。峠には、用水を流れる水量を測る「井筋水枡」が残る。この枡をあふれた水は木曽谷に戻っていった。 日本海へ流れるはずの水が伊那谷を潤した後、太平洋へ向かう。貴重な水を確保しようとした先人の壮大な計画に感心しながら、峠にある分水嶺碑を見詰めた(札木良)