<10>四徳集落跡(中川村四徳)  「三六災害」古里”奪う” 一九六一(昭和三十六)年夏、伊那谷を襲った豪雨による「三六災害」で、中川村四徳地区では、南北に流れる四徳川の鉄砲水で集落が流された上、土石流が発生。八十戸のうち六十一戸が被災し、七人が死亡した。 四徳の周辺には、小さい谷が網の目のように広がる丘陵地帯。地質は、風化すると粗い砂となる花こう岩が主で、もろく崩れやすい土地といわれる。土石流の被害で、四徳川と小渋川合流点で河床が約十メートル上昇したという。 被災した人々は駒ヶ根市などに集団移住を余儀なくされ、七百年に及ぶ集落の歴史に終止符を打った。現在は、一八七三(明治六)年に開校した四徳小学校跡の石碑や四徳神社などが残るのみで、カラマツ林に戻っている。 集落跡を歩くと、ところどころに石垣が見られ、人が住んでいた名残があった。 一九九九年に設置された四徳学校跡の案内看板には、「私たちは他の場所に移住しても決して古里を忘れない」とあった。土地を放棄せざるを得なかった四徳の人たち。災害に負けず、強く生きていくという決意を感じさせる言葉だった。(札木良)