<9>大西山崩壊地(大鹿村大河原)  豪雨の爪痕今も山肌に 一九六一(昭和三十六)年夏、梅雨前線による豪雨が伊那谷を襲った「三六災害」で大鹿村の小渋川西側にある大西山(標高一七四一メートル)が大崩壊した。崩壊は高さ四百五十メートル、幅五百メートル、厚さ十五メートルに渡った。 大量の石や土砂が、小渋川の堤防よりもはるかに高い山津波となって、対岸の家屋に押し寄せた。約三十万平方メートルが飲み込まれ、家屋四十戸が流出。四十二人が亡くなった。 村の南北には、中央構造線が通っている。小渋川の西側一帯の岩石は、もろくて崩れやすい鹿塩マイロナイト。集落のある東側は、剥がれやすい結晶片岩が多く、地滑りの多発地帯だった。 大西山の真下にある大西公園を訪れると、今もむき出しのままの荒れた山肌が目前に広がった。三十五度を超す暑い日だったが、当時の被災状況を想像すると寒気がした。 崩壊跡地に造られた同公園には、犠牲者をしのんで約三千本の桜が植えられた。春には、尊い命が舞い戻るかのように、桜の花が咲き誇るのだろう。(札木良)