<8>三六災最高水位標(飯田市川路)  今も昔も自然猛威感じる 1961(昭和三十六)年夏、梅雨前線豪雨が伊那谷を襲い、大きな被害を出した「三六災害」時の最高水位を示す。天竜川総合学習館(かわらんべ)前に石柱が建ち、旧堤防から三〜四メートルの高さまで水位が上昇したことを伝えている。天竜川下流の天竜峡から川幅が狭くなるため、被害が集中した。 水位標は当初、JR飯田線旧川路駅前にあり、源実朝八大龍王の鎮魂碑と並んで建っていた。二〇〇二年に川路地区の治水事業が終わった際、現在の場所に移された。 「時により すぐれば民のなげきなり 八大龍王 雨やめたまへ」−鎮魂碑には、一二一一年の水害の際、鎌倉幕府の三代将軍源実朝が悲嘆に暮れる農民の姿を見て詠んだ和歌が刻まれている。 碑も現在の川路駅前の公園に移転。水をつかさどる八大龍王にささげたとされる和歌は、今も昔も自然の猛威に泣いてきた人々の苦しみを感じさせる。 水位標の近くで、子どもたちがタモを持ち、天竜川に住む生き物探しに熱中していた。しばらくすると笑い声が聞こえた。三六災害から五二年。夏の穏やかな光景が広がった。(札木良)