<7>川路郷家屋移転記念碑(飯田市川路)  「三六災害」復旧祝い建立 一九六一(昭和三十六)年、梅雨前線による豪雨が伊那谷に甚大な被害を引き起こした「三六災害」。天竜川の洪水に見舞われた飯田市川路地区では、家屋が壊滅的な打撃を受け、住民の多くが災害後に移転した。 六六年に現在の堤防が完成。家屋の移転が無事終わったことを祝い、住民たちが記念碑を建てた。JR飯田線川路駅周辺の旧国道沿いに百七十戸が移転した跡地があり、今でも家の塀や門が残されている。 飯田市などは災害復旧を進める際、災害後の不衛生な状況の中での感染症の発生を警戒。殺菌や消毒をこまめに行った結果、川路地区では一人も感染症患者を出すことはなかったといわれる。 記念碑は国道151号沿いに面した川路神社の敷地内にある。神社から続く坂道を登ると、川路小学校が見える。旧川路小は三六災害で二階の床上まで浸水し、二年後に現在の場所に校舎を移した。児童たちは登下校の度に、記念碑の前を通る。三六災害から五十年を超えた今、児童たちの目に記念碑はどう映るのだろうか。