第1部 L 粟沢川掘り抜き  伊那市  尾根を切り、水害免れる 伊那市長谷の国道152号を分杭峠方面に向かう。三峰川沿いの道は市野瀬集落を右手に見ながら、小さな山を回るようにして粟沢川沿いに続いていた。粟沢川の谷に入って振り返ると、尾根続きだった昔の姿が想像できた。   粟沢川はかつて、市野瀬集落の中を流れていた。たびたび氾濫し、集落は大きな被害を受けていた。集落を洪水から守るため、江戸時代末期の1843年、名主の馬場孫左衛門が高遠藩の許可を得て、尾根を切り、堀り抜いて粟沢川の流路を変えた。300両もの普請費をかけた大事業によって、以降、集落は水害を免れた。   三峰川との合流点は深く、工事の大きさを感じさせる。「だんだんと掘り抜きをして広げていったんだろう。手で掘ったぐらいじゃあ流れは変わらないだろうから、水がこっちにこないように大きい土手を築いて向こうへ水をやったんだ」。   旧道沿いに暮らす男性(79)がそう話した。 (文・倉田高志、絵・片桐美登)