<29>粟沢川掘り抜き(伊那市長谷市野瀬)  村人の苦労刻む大工事 江戸時代末期、氾濫を繰り返す粟沢川の流れを変えるため、山の尾根を掘り抜いて導水路を造る大工事が行われた。粟沢川沿いの国道152号に立つと、削られた尾根を左右に見ることができる。 工事は一八四三(天保十四)年、市野瀬村の名主が高遠藩の許可を得て着手。田畑や家まで流される水害に苦しんできた人たちは、自らの生活を守るために立ち上がった。 村普請(村が行う工事)による掘り抜きは翌年完成したが、その後も堤防の補強などが続けられ、二十八年後の七一(明治四)年になって最終的な完了届けが出された。尾根に挟まれ、集落内を流れていた粟沢川は三峰川に直結し、氾濫の恐れは少なくなった。 建設機械がなかった時代、工事は今からは想像もできないほどたいへんなものだったに違いない。度重なる水害の被害にくじけず、厳しい労働に耐えた村人たちは、どんな思いで掘り抜きの完成を見届けたのだろうか。(中山道雄)