<3>名古山の水除け(飯田市南信濃南和田)  土地守った知恵の証し 飯田市南信濃南和田の名古山のゆるい斜面は、一七一八(享保三)年八月の享保遠山地震による土砂崩れや、飛び石によってできた。後世の人たちがその斜面に石積みを築き、畑や屋敷を造ってきた。 水除けは、水を防ぐための設備や道具のほか、堤防のことを指す場合もある。名古山では、山からの土砂をはね返し、家を守るために造られた。水除けの向きは土砂の方向に対して斜めで、家を守る形になっている。 江戸時代に造られた水除けの堤防が残っている家があり、昭和の初めの土石流でも家を守ったという。 南信濃地区の中心部から天龍村に向けて国道418号を走ると、茶畑が見えてきた。車を降りると、急な斜面の下に、蛇行した遠山川が流れる。 整然と石を積んだ水除けは、青々とした茶畑の中で存在感を誇る。土砂崩れと水害から、わずかな土地を守るために人々が絞った知恵の証しをしばし見つめた。(札木良)