安倍川流域 土砂災害の歴史
昔より数え切れないほどの土砂災害が発生していることが記録に残されています。
安倍川流域では、現在までにわかっている古文書の中で「大谷崩」の名前が最初に登場するのは、宝永6年(1709年)の「駿河国安倍郡梅ヶ島村差出シ(村差出明細帳)」です。 村差出明細書とは、代官が交替するときに新しい代官にあてて提出した村の状況説明書で、この中に大谷崩という崩壊地があることが記載されており、このときすでに大谷崩が存在していたことになります。
なぜ、安倍川では災害がおきやすいのでしょうか?
安倍川の最上流の大谷崩からは、今までにたくさんの土砂や石が下流へ運ばれ、川の途中に積もっています。また、安倍川の流域は台風や梅雨などで非常に雨が多く降る場所で、1年間に約3200mmも降ります。急流で知られる安倍川は、大雨が降ると一気に水かさを増して、積もっている土砂や石などをまきこんで勢いよく流れ下り、土石流となって災害を起こすことがあるのです。
大きな被害を出した梅ヶ島温泉の土砂災害(昭和41月9月)
昭和41年9月25日に静岡県に上陸した台風26号は、安倍川上流域にも異常な豪雨をもたらせました。梅ヶ島温泉では、25日午前0時ごろ突然土石流が発生し、旅館など11軒の家が壊され26名もの死者を出しました。そのほか、道路や農作物、山林などにも大きな被害を出しました。
土石流に飲み込まれた梅ヶ島温泉


過去の主な土砂災害
発生年 | 災害の概要 |
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宝永4年(1707年) |
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享保7年(1722年) |
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明和5年(1757年) |
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寛政4年(1792年) |
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文政11年(1828年) |
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嘉永7年(1854年) |
文書によると、梅ヶ島村内各所で被害があり、全壊8軒、半壊23軒、周辺道路が数ヶ所で山崩れにより通行不能になったとされています。 |
文久2年(1862年) |
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明治40年(1907年) |
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大正3年(1914年) |
『安倍川沿革誌』によると、梅ヶ島及び大河内地内では、死者11名、行方不明3名の犠牲者が記録されています。 |
昭和41年(1966年) |
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昭和49年(1974年) |
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