大井川の概要

大井川について

昭和42年5月に一級河川と指定され、このうち本川の直轄管理区間24.8kmの改修事業、環境整備事業ならびに維持管理を実施しています。

大井川

流れの速い大井川。中でも牛尾狭窄部は特に川幅が狭く、流れの急な場所として知られ、ここを原因とする災害を防ぐためにも急流を緩和させる必要があります。

大井川

大井川の歴史

小学校の社会科の勉強に役立つ大井川の歴史を紹介します。

大井川の川越し

橋も船もだめ。ずっと続いた大井川の川越し、流れが急で、川幅のある大井川は、旅人が一人で渡るには危なかったため、古くから川越人足による川越しが行われていました。やがて江戸時代になり、橋を架けようとしましたが、その技術は難しく、しかも人足たちは仕事がなくなることを恐れました。それに江戸幕府の政策も合わさり、橋も架けられず、船による渡しも許されませんでした。川越しは、時代が進むにつれて川の深さにより料金を決めたり、川札を発行するなどのしっかりした制度ができ、明治時代になるまで続きました。

大井川の川越し
大井川の川越し

舟形屋敷(ふながたやしき)

舟形をした屋敷は、水害から暮らしを守る知恵だった! 昔の大井川は、大雨が降るたびに流れを変えて暴れまわり、そこに住む人たちを苦しめました。そこで人々は、自分たちの命や家を洪水から守るため、工夫を凝らしました。大井川下流の金谷町、島田市、藤枝市、焼津市、大井川町、吉田町でいくつも見られた舟形や三角形をした屋敷や集落も、そんな昔の人たちが考えたすばらしい知恵といえます。現在はしっかりとした堤防ができて、洪水の心配もあまりなくなりましたが、水害に対する用心は忘れないようにしましょう。

舟形屋敷
舟形屋敷

大井川の地理

小学校の社会科の勉強に役立つ大井川の地理を紹介します。

鵜山の七曲り(うやまのななまがり)

大井川の嵌入蛇行(かんにゅうだこう)が生んだ自然の傑作。うねうねと曲がった七曲りはまるで抽象画のよう。中川根町(なかかわねちょう)塩郷(しおごう)付近から川根町にかけての流れは「鵜山の七曲り」とよばれるほど曲がりくねって流れています。この間の距離は直線にする約3.5キロメートルですが、川の長さはその約4倍の13キロメートルにもなっています。近くの山の上から見ると素晴らしい眺めです。

鵜山の七曲り
鵜山の七曲り