安倍川の概要

安倍川について

安倍川は、静岡、山梨県境の大谷嶺(標高1,997m)に源を発し、梅ヶ島、大河内をぬけて、静岡市西方にて支川藁科川を合流し駿河湾に注ぐ、流路延長51km、流域面積567km2の河川であり直轄管理区間として安倍川22.7km、藁科川8.9kmです。

安倍川は日本の河川のうちでは、比較的延長は短く、流域面積もあまり広くはないが、けわしく刻まれた山地から急勾配で流下するため、おびただしい量の砂礫を流出しています。このため静岡市街地をひかえる下流部の河状はかなり不安定で古くからしばしば洪水の害を受けてきました。

安倍川

本川の上流部には堤防のない所や堤防の大きさが足らない個所があり、早急な対策が必要です。中下流部及び支川藁科川では一部を除いて概ね堤防が整備されており洪水の危険性を軽減しています。
しかしながら、急流河川特有の川岸の洗掘が著しく洪水を安全に流すための対策が必要です。

安倍川

安倍川の歴史

小学校の社会科の勉強に役立つ安倍川の歴史を紹介します。

駿府城址(すんぷじょうし)(駿府公園)

天正13年(1585)に徳川家康が築城した駿府城の跡を公園としたもの。家康は将軍職を秀忠に譲ったのち、この城に隠居していましたが、豪華絢爛な造りで天下の名城を誇っていました。今ではその美しい天守閣を見ることはできませんが、復元された江戸初期の「東御門(ひがしごもん)」と「巽櫓(たつみやぐら)」が当時をしのばせてくれます。広い園内の本丸跡には家康の銅像が立っており、その近くに家康公お手植えのミカンの木もあります。

駿府城址
駿府城址

今から500~600年前の安倍川の流れ

今から500~600年前の安倍川は、静岡平野の中心部を何本にも分かれて流れていて、大雨のたびに洪水を起こしていました。その後、堤防が造られ、現在の流れになりました。

安倍川の流れ
安倍川の流れ

安倍川の地理

小学校の社会科の勉強に役立つ安倍川の地理を紹介します。

大谷崩(おおやくずれ)

源流部にそびえる大谷崩は日本三大崩のひとつ!

安倍川の水源のひとつである大谷嶺(おおやれい-標高1999.7メートル)。その斜面は崩れがひどく、「大谷崩」とよばれています。広さは駿府公園のおよそ10倍にあたる180万平方メートル。高さは800メートルもあり、いままでにくずれた岩石の量はなんと1億2000万立方メートルにのぼるといわれています。その規模の大きさから、長野県の稗田山崩(ひえだやまくずれ)、富山県立山の鳶山崩(とびやまくずれ)とともに日本三大崩とされています。崩れた量はなんと東京ドームおよそ100杯分!

大谷崩
大谷崩

安倍川の石

見事な水石(すいせき)を創る安倍川って芸術家だ

急な傾斜を流れ下る安倍川は、水と砂利による「川ずれ」の作用が強く、いろいろな形をした水石を作り出します。多くの川の河口は砂なのに、小石だらけの安倍川の河口。安倍川の河口には、砂に混じって小石が多くあります。もちろん、これは安倍川が上流から運んできたものです。全長が51キロメートルしかない安倍川では、小石のうちに海まで運ばれていきます。どんな石があるかな?
近くの河原で観察してみよう!

安倍川の石
安倍川の石