昔、宮川堤に末吉という世話好きで旅好きな男がいました。ある時、末吉は参宮客に連れられて、北陸、京、難波の国を旅しました。帰郷して料理屋で手伝いをしていると、調理人達が焼き豆腐について話しています。そのうち「誰か豆腐を串に刺して上手に焼く者はいないか」と主人がいい出しました。末吉は豆腐を角なべの上に乗せて焼き、味噌をつけて主人に差し出しました。その食べ物は最初、串に刺してどれ程焼いても炭火の中へ落ちてしまい、その様子が末吉が京で見た「田楽法師の舞い」と似ていることから、田楽と名づけられました。田楽は大変好評で、宮川の渡し場に小さな屋台を建て、売ることになりました。そのうち町の人や参宮客の間で評判を呼び、特に花見の時期は田楽目当ての人々で大変賑わったといいます。
豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の禊川であったことから、かつては豊宮川といわれ、「豊」の字を略して宮川の名がついたとされています。