被災した方の所見(木曽岬村) 源緑輪中付近であり、海岸堤防の破堤部が見られる。 藤里は、当時25~26軒の家屋が堤外地に立っており、普段、家の中から川の流れが見えていた。建設省は、伊勢湾台風後に藤里周辺の土地が民地であったため、海側に土地を購入して海岸堤防を築いた。 藤里の民家及びその付近の土地は元々地盤高がやや高かった。そのため、藤里付近では1m程度浸水したが、台風後は比較的早く水が引いた。藤里地区中央部の破堤箇所は比較的(60cm程度)土地が低くいところであり、3軒の家屋が流された。その他の家屋も、柱だけになってしまった家が多く、2階へ上がる梯子が流されてしまうほど、浸水速度が早かった。 救援のヘリコプターが到着するまで2日間程度かかった。その間は、食料や特に水が無くて大変であった。 源緑の破堤部は、波で決壊したと思われる。堤防の表はコンクリートであったが、天端、堤防裏は土盛りであった。