〔被災体験を持つ元建設省職員の方の所見(座談会)〕 堤外地に民家があるが、当時は珍しいものではなかった。堤防直線部に見られる様に、当時はメダケが堤防川面に沿って生えており、越水の際、表法や天端などを被覆する役目を果たしたと思う。 〔被災した方の所見(木曽岬村)〕 木曽岬村北部の見入付近であり、漂流物が見られる。 木曽岬村北部の堤防は破堤しなかった。堤防沿いにはメダケが多く生育していた。 木曽岬村見入は、水の流れによる漂流物(倒壊した家屋の材木など)が特に多かった。家屋の材木などにぶつかって亡くなる人が多く、遺体が家屋の材木などの下に埋もれていた。 破堤の前兆などは気付きもせず、風と木が家にぶつかるものすごい音がして外を見ると浸水しており、初めて堤防の決壊を知った。 なお、木曽岬村の児童、老人は鈴鹿学園などに疎開した。