〔長島輪中内の漂着物の様子について:被災体験を持つ元建設省職員の方の所見(座談会)〕 長島輪中内の漂着物は輪中の北東角地に大量に吹き寄せられていた。特に多かったのは尾張大橋西詰めの木曽川左岸堤内で、漂着物の内容は高潮に流され、強風と高波にもまれて分解した家屋の残骸、小舟、家畜など人間の生活する周辺にあるもので、水に浮くものはすべてのものといってもよい。中には犠牲者の遺体もあった。 漂着物は台風通過時の破堤時から堤内水位の上昇した頃の南風から西風に変化する間に漂着したものと考えられる。 〔被災した方の所見(長島町)〕 長島町の国鉄関西本線長島駅、近鉄名古屋本線長島駅周辺である。 長島町内では、当時、高架は近鉄名古屋本線であり、複線化のため付け替えを行っていた。 当時の木曽川や長良川の堤防はとても高く感じられた。堤防表は石積、裏は竹が生育している所が存在した。