〔被災体験を持つ元建設省職員の方の所見(座談会)〕 長良川左岸は破堤箇所が多かった。木曽川右岸堤は高波による堤防の流出箇所が多くあった。(写真に白く写っているのは内部の砂が出ているのが写っているのだと思う) 破堤は、波浪が堤防を乗り越え裏法が浸食され、そこから崩れたものと考えられる。 長島町内の現場見回りでの体験:出張所の職員は、堤防の見張りと工事中の堤防の裏面が洗掘するので土俵を作り水防作業を実施したが、風雨がひどく作業が不可能な状態となった。その際、相当数の家屋が流出し始め、屋根の上から助けてくれと大声で悲鳴が上がる状態を耳にした。流出した家屋が国道1号に乗り上げていたのを目撃した。 被災当時の堤防の様子について:被災当時の堤防は、現在のように除草など堤防管理が全くおこなわれていなかった。採取土や浚渫土を活用した直営工事[浚渫船・パワーショベル・エクスカベーターで掘削・鍋トロッコ運搬・トラック運搬・ブルドーザー押土・転圧]で施工されたものが殆どで、堤防はきわめて脆弱さを感じた。 被災以前の災害復旧工事も堤防は採取土などが用いられ、水当り部分は、粗朶沈床、捨石で根固めし、土堤表法面・小段はヨシ根土で被覆する。護岸は平型コンクリートブロック空張工法が標準であった。 (伊勢湾台風被災前の堤防の概要については「伊勢湾台風復旧工事誌(上巻)-P51-以降」に説明されている) 〔被災した方の所見(長島町)〕 長良川を中央に、桑名市、揖斐川、長島町、木曽川が見られる。 長良川左岸の破堤部や長島町の浸水状況が確認できる。また、当時はヒバリ山と呼ばれ、今は浚渫されて存在しない中州(揖斐川・長良川の下流)が見られる。