〔被災した方の所見(木曽岬村)〕 木曽岬村南部の状況であり、海岸堤防の破堤部が見られる。写真中央部は、現在、源緑輪中と呼ばれているが、当時は藤里輪中とも言った。昭和34年当時は、それ以前の状況から、まさか堤防が決壊し、自宅が浸水する被害に遭うとは思っていなかった。木曽岬村堤内地の浸水は、11月中旬まで続いていた。我が家では、子供が小さく、抱き上げてどうしようと思っているアッという間に水深が深くなり、2階に避難して助かった。着の身着のままで何も持ち出すことが出来なかった。なお、輪中内にある源緑では死者が多く出たが、水屋のある家が5軒ほど有り、水屋のある家は家族が助かった。消防団で伊勢湾台風の活動時に亡くなった人もいる。