犀川事件

 かつて天王川、中川、五六川、犀川などの長良川合流地点にあった本巣諸村は、長良川の逆流により、たびたび大きな水害に見舞われてきました。
 水害を防ぐため、新川の掘削計画、付け替え工事などをたびたび計画しましたが、治水環境の悪化を恐れる下流輪中の反対に遭い、抜本的な解決はされませんでした。
 長年の要請が実りようやく工事が認められた昭和3年(1928年)の翌年、反対派の安八郡7町村の町村長および役場全職員が県知事に対して辞表を提出し、これを収拾しようとするする県の職員と反対住民が衝突するという異常事態となりました。
  軍隊の出動にまで発展したこの事件は「犀川事件」と呼ばれました。計画は下流域への影響を最小限に抑えるよう見直され、新犀川が完成したのは昭和11年(1936年)のことでした。   新犀川は、墨俣一夜城の前で分派し、長良川堤防に沿って、安八町内を約3km流下して、森部公民館前で長良川河道に出て、 さらに約 2km流下して、新幹線橋梁の下流で長良川に合流しています。
 安八町氷取(旧名森村)には、これを記念した犀川事件碑が建てられ、その事績を後世に伝えています。


 犀川事件碑


  新犀川


所在地 :  岐阜県安八郡安八町氷取

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