三川分流工事によって青鷺、鰻江、油島喰違などが閉塞され、木曽三川と桑名を結ぶ最短ルートが確保できなくなりました。デ・レーケは改修計画の策定にあたって、舟運路を確保するため、閘門の設置が必要であることを述べていますが、その具体的な位置を明示していませんでした。実施にあたって、閘門の建設地点には船頭平地内のほか長島町地内の鰻江川が候補にあがりましたが、長島町地内の悪水処理などを総合的に検討し、船頭平に決定しました。
明治32年(1899年)に着工し35年(1902年)竣工。前後頭部と閘室の三部からなり、一度に船10隻、筏5枚を収容できました。大正時代前半までは、年間に約3万隻の船・筏が通過しましたが、昭和8年(1933年)の尾張大橋、9年(1934年)の伊勢大橋完成によって交通量は激減しました。
平成6年には門扉の取り替えを行い、現在稼動している最も古い閘門として機能しています。
平成12年には、国の重要文化財として指定され、現在は公園、桜の名所として人々のレクリエーションの場となっています。 |

船頭平閘門

閘門部分
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