宝暦治水の偉業を顕彰するため、岐阜県海津市海津町油島地内の千本松原の南端の油島締切堤の上に、桑名市多度の西田喜兵衛の尽力によって、当時の建築費2,600円をかけて「宝
暦治水碑」が建てられました。
石碑は、高さ2.7m、幅1.5mの根府川
石で、赤坂山から発掘された天然石を台石としています。碑文は、名工と言われた東京の酒井八右衛門(井亀泉)により刻まれ、海路を四日市港まで輸送されました。
明治33年(1900年)4月22日に行われた建碑祭には、当時の内閣総理大臣山県有朋など政府の高官多数が参列しました。
建碑式は、三川分流成功式に引き続いて行われたため、参列者は、成功式の行われた海津町成戸から鵜飼船24艘に乗って、油島まで移動したということです。 |


宝暦治水碑
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