治水神社
 宝暦4〜5年(1754年〜1755年)に実施された宝暦治水は薩摩藩(現鹿児島県)に多くの犠牲を強い、また藩財政を圧迫するなど、大変な土木事業となりました。工事の総奉行である平田靱負はその責任を負い、「住みなれし 里も今更 名残りにて 立ちぞわづらふ 美濃の大牧」という辞世の歌を残して自ら命を絶ちました。
治水神社はその平田靱負を祭神として、昭和13年(1938年)に、油島締切堤の付け根に建てられたものです。
その後、昭和28年(1953年)にはエ事の犠牲者八十余名の義士を祀る治水観音が建立されました。毎年4月25日には、神式で春季大祭が挙行され、10月25日には仏式で秋季大祭が挙行されています。
 今では、宝暦治水顕彰のシンボルとして、また著名な観光名所となっており、四季を問わず、観光バスを連ねて、小学生や参拝者が治水神社を訪れています。


 


治水神社


所在地 :  岐阜県海津市海津町油島

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