■北北西から南南東に延びる線
富士山の側火山は、知られているもので70位あります。今から300年ほど前の江戸時代(宝永4年/1707年)に起きた大噴火の跡の宝永火口もその一つで、標高2,300~3,150mの山腹に大きな3つの穴をあけています。高い方から、第一、第二、第三火口と呼ばれ、北北西から南南東の線上に一列に並んでいます。
この北北西から南南東の方向は、愛鷹山や富士山頂、そして北北西にある大室山を結ぶ線で、側火山の多くはこの線の周辺に分布しています。また、富士山の等高線を見ると、山頂付近はほぼ正円ですが、中腹以下は北北西から南南東の方向を長経とする楕円形を成しています。これは、この線に沿って多量のマグマが噴出したことを物語っています。
■200万年前の伊豆半島の衝突
この北北西から南南東に延びる線の発生は、伊豆半島の衝突によると考えられています。かつてフィリピン東方の熱帯の海底火山群であった伊豆半島は、フィリピンプレート*1の北上にともない北進し、本州南東側の南海トラフ*2を押し曲げて駿河トラフと相模トラフをつくり、さらに北上して、今から200万年ほど前に日本列島と衝突しました。そして、今もなお本州を南南東から北北西に向けて押し続けているといわれます。この力によって、富士山を含む陸地には、押される方向と直角の方向に働く張力が生まれ、割れ目が生じます。この割れ目に沿ってマグマが上昇し、火口を開き、北北西から南南東の方向に長経をもつ楕円形の富士火山の山体をつくったと考えられています。