青木(あおき)ヶ()原(がはら)溶岩(ようがん)は、貞(じょう)観(がん)6年(ねん)(864年(ねん))に、富士山(ふじさん)中腹(ちゅうふく)の北(ほく)北西(ほくせい)斜面(しゃめん)に新(あら)たにできた火口(かこう)から流(なが)れ下(くだ)ったものです。この貞(じょう)観(がん)噴火(ふんか)は爆発(ばくはつ)的(てき)ではなく、比較的(ひかくてき)穏(おだ)やかな噴火(ふんか)でしたが、溶岩(ようがん)流(りゅう)の量(りょう)は大量(たいりょう)でした。「せの海(うみ)」を埋(う)めて2つに分断(ぶんだん)し、精進湖(しょうじこ)と西湖(さいこ)に分(わ)けたのも、この貞(じょう)観(がん)噴火(ふんか)です。
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