富士山の文学 −万葉から昭和まで文学にあらわれた富士山−
古典文学
 奈良時代に作られた20巻・4500余首からなる日本最古の歌集「万葉集」には、富士山を詠んだものが、一説によると11首あるといいます。有名なのは山部赤人の次の一首でしょう。 富士山の文学

[田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ 不尽の高嶺に雪は降りける]
(巻三)
 これは純粋な叙景歌ですが、噴煙にこと寄せて女性への思いを詠む相聞の歌では次のような例があります。
[吾妹子に逢うよしをなみ駿河なる 不尽の高嶺の燃えつつかあらむ]
(巻十一)
[さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは 富士の高嶺の鳴る沢のこと]
(巻十四)
 「古今集」905年「新古今集」1205年などの勅撰和歌集にも富士の歌は多くあります。

[人知れぬ思いをつねに駿河なる 富士の山こそ我が身なりけれ]
(古今集 読人しらず)
[ふじの嶺の煙もいとど立ちのぼる 上なきものは思いなりけり]
(新古今集 藤原家隆)
[富士のねをよそにぞ聞きし今は我が 思いにもゆる煙なりけり]
(後撰集 朝頼朝臣)
叙景も相聞もいろいろとありますが、何かしら類似した歌が多いのがこの時代の特色なのでしょうか。パターン化するのが好きな日本人の一面が見えてくるようです。
 さて、詩歌の世界のほかにも平安、鎌倉の文学の中には富士山は数多く登場します。日本最古の作り物語とされている「竹取物語」をはじめ、在原業平が主人公とされる「伊勢物語」、菅原孝標の女作の「更級日記」、そして富士川の合戦が描かれる「平家物語」など富士山はあらゆるジャンルに顔を出しています。
●江戸俳譜にみる富士山
 富士山麓には古来から古文墨客が多く訪れていますが、松尾芭蕉もそんな中の一人です。河口湖畔産屋々崎には「雲霧暫時百景をつくしけり」の句碑が建っています。これは「野ざらし紀行」も終わりの頃、この地を訪れた際、産屋々崎からの富士のみごとさを詠んだものとされています。
 富士にちなんだ芭蕉の句としては、やはり「野ざらし紀行」の中の「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき」が有名です。箱根の関所越えの時の句ですが、見えない富士を詠んで、その逆説的効果がおもしろい。芭蕉及び江戸時代の俳人の句をもう少し紹介してみましょう。

[ひと尾根はしぐるる雲か不二の雪](芭蕉)

[目にかかる時やことさら五月富士](芭蕉)

[はれて候又曇り候ふじ日記](其角)

[不二ひとつうずみ残して若葉かな](蕪村)

[かたつぶりそろそろ登れ富士の山](一茶)

近代文学
●明治から大正の文学にみる富士
 近代山岳文学の先駆者小島鳥水の「不二山」、日本全国に足跡を残す紀文文学者大町桂月の「富士の大観」などが、富士山をテーマにした文学のさきがけとなりました。
 
他には早稲田文学でデビューした中村星湖の「少年行」、北村透谷の持論「富嶽の詩神を思ふ」などがあり、俳句・短歌の分野では正岡子規、島木赤彦、飯田蛇骨などが特筆されます。
[駿河なる沼津より見れば富士の嶺の  若山牧水記念館
若山牧水記念館
前に垣なせる愛鷹の山]
[伊豆の国戸田の港ゆ船出すと 
はしなく見たれ富士の高嶺を]
[野のはてにつねに見なれし遠富士を 
けふは真うへに海の上に見つ]
[見る見るにかたちを変ふる冬雲を 
抜きいでて高き富士の白砂]
と多くの富士山を詠んだのは歌人、若山牧水です。万葉の歌がそうだったように、日本そのものといえる富士山を生涯愛した一人です。
●昭和の文学に見る富士山
 まず太宰治の「富嶽百景」誰もが思いおこすことでしょう。「富士には月見草が良く似合ふ」の一節で知られるこの小説は、河口湖町は御坂峠の天下茶屋に滞在したときのものです。土地の老婆が指を指す月見草を見て太宰はいいます。「3776メートルの富士の山と立派に相対峙し、みじんもゆるがず、何と言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていた月見草は良かった」と。
 そして、その後に「富士には月見草が良く似合う」ともらすのです。この鋭い批評眼は何よりも太宰のものです。
他には川端康成の「東海道」、白井喬二の時代大長編「富士に立つ影」国枝史郎の伝奇冒険小説「神州纐纈城」などが特異な分野ではないでしょうか。
 
詩人の金子光晴や草野心平の富士山をテーマにした一連の作品もユニークな存在です。現代の富士文学では、樹海の神秘をミステリヤスに展開した松本清張の「波の塔」、沼津の芹沢光治良の「我入道」や「人間の運命」、武田泰淳の裾野の人間物語「富士」と武田百合子の「富士日記」などが昭和文学史のおもしろい一面です。
 最後に、富士山測候所の勤務の経験と、熱いヒューマニズムで富士山を書きつづけた新田次郎を忘れることは出来ません。「富士山頂」「芙蓉の人」「着氷」「富士に死す」など人間、歴史、自然が一体となった世界は、多く読者をひきつけて放しません。

 また、明治の文豪幸田露伴の次女幸田文が、大沢崩れをはじめて全国の山河の崩壊地を訪ねた一種のルポルタージュ文学「崩れ」も注目に値します。
太宰治の文学碑
太宰治の文学碑(河口湖町御坂峠)
芭蕉の句碑
芭蕉の句碑(河口湖町産屋ヶ崎)
望月春江の筆塚
望月春江の筆塚(河口湖町産屋ヶ崎)
中村星湖の文学碑
中村星湖の文学碑(河口湖町産屋ヶ崎)