トップページ > 昭和58年災害の記録 > 被災状況

被災状況
計画をはるかに上回る洪水によって、美濃加茂市、坂祝町、可児市などで死者・行方不明者4名、
被害家屋4,588戸もの被害をもたらしました。
浸水の状況(美濃加茂市)
 浸水は低地の深田・下町地区より始まり、次第に旧中山道筋の地域まで広がり、その後国道21号・
41号、28日午後10時過ぎには国道248号まで達し、浸水の最も深い地区では4m以上にもなり、2階
屋根裏までも水没しました。29日0時をピークに午前2時頃より水位は段々下がり、翌朝までには浸水
地区はなくなり泥沼化した市街地に変わりました。低地の地域では100%浸水の自治会が20地区もあ
り、全てが床上浸水の状態となりました。
避難の状況
 木曽川の水位の上昇とともに、19時15分、低地の深田・下町地区を中心に避難命令が出され、
太田小学校・中央公民館へ避難をするよう広報車で呼びかけました。しかし、水位は時間とともに
増水し続け、建設省(現国土交通省)ダム当局からも増水の見込みが大きいとの情報もあり、避難
命令第1号〜第5号まで順次呼びかけ、太田小学校・中央公民館・中濃体育館・可茂消防中署・山
手小学校へ、総数1,500名が避難をしました
 
避難所へ向かう住民
船で救出
消防団員より救出
浸水した膨大な家財
 床上浸水家屋が多く、緊急避難であったため、家具等は、ほとんど持ち出す余裕も
なっかたようで、浸水家庭より粗大ごみが多量道路に出されました。
後片付け
↑ 太田本町旧中山道 後片付けをする被災者
道路へ出された家財
↑ 道路へ出された家財
流された家財
↑ 流された家財
焼却処分
↑ 廃棄物は河川敷に多量に置かれ焼却処分された(国道41号中濃大橋下)
浸水図
 下の航空写真は、当時の浸水した区域を表したものです。
 「」をクリックすると当時の浸水状況と現在の写真を見ることができます。