金森吉次郎顕彰碑
 金森吉次郎は、元治元年(1864年)大垣市で生まれ、治山治水に対して熱心に取組んでいました。明治21年(1888年)7月の揖斐川洪水の際は、大垣輪中の救済委員として、明治29年の水害の際には大垣輪中堤防委員長として、一面に浸水した大垣輪中の水防のため最前線で指揮を執り、的確な決断により災害の拡大を防止しました。
 県会議員から衆議院議員に進み、政界から治水対策を推進しましたが、「治水のもとは治山にあり」として、金原明善とともに、濃尾地震で荒廃した揖斐川の水源を調査し、治山事業を興して山地を回復させました。
 明治改修においても、難航する用地問題の調停にあたり、事業の促進に大いに尽力すると共に、木曽川上流改修についても政府を説得し、これを実現させました。
 昭和5年(1930年)10月13日享年67才で生涯を終えましたが、吉次郎の功績を讃え、
嘆願書を携えた吉次郎の銅像が大垣公園に建立されました。第二次世界大戦時には金属回収のため供出されましたが、昭和29年、元の台座の上に元の姿のまま再建されました。




金森吉次郎像



所在地 : 岐阜県大垣市郭町2 大垣公園内

空中写真 閉じる