大巻薩摩工事役館跡
 大牧役館は、宝暦治水における薩摩藩の本拠地でした。総奉行平田靱負らが詰めて工事を指揮した本小屋・元小屋ですが。 大牧にあることから「大牧役舘」とも呼ばれています。
 養老町における薩摩義士顕彰は、大正元年(1
912年)頃から活発となり、大正14年(19
25年)12月29日には薩摩義士顕彰会が組織されて、役舘跡に保存・記念碑を建立することが企画され、昭和3年(1928年)5月6日に除幕式が挙行されました。
薩摩藩では御手伝普請の本部となる本小屋については、現地不案内のため相応しい場所を指示願いたいと、幕府に斡旋を願い出ていますが美濃郡代によって準備された大牧村(養老町)の鬼頭兵内方の建物を借り受け修繕して本小屋としました。
 平田靱負は、宝暦5年(1755年)5月22
日にすべてが終了し、工事の引渡しが終わると、
藩士達を江戸や鹿児島に帰るように手配し、国元への報告を終えて、すべての後始末をした後、5
月25日早朝、本小屋において自刃し相果てました。傍には、次の辞世の句が残されています。
「住みなれし 里も今更 名残にて 立ちぞわづらふ 美濃の大牧」
大牧村は、明治8年町村合併により大巻村となったため、現在は、「大巻薩摩工事役館跡」と、呼び方が統一されています。


大巻薩摩工事役館跡


平田靭負像


所在地 : 岐阜県養老郡養老町大巻(大牧)

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