願証寺
 願証寺は、蓮如の子蓮淳が寺主として迎えられた明応6年(1497年)から、伊勢地方の一向宗の拠点、さらには東海地方の一向宗の拠点として勢力を拡大しました。この願証寺の開基については、文永元年(1264年)、長島杉江郷に一宇を草創したものとされています。
 長島は、文明14年(1482年)には伊藤重晴が支配していましたが、願証寺の勢力が増大するにつれて、住民は次第に願証寺に心を寄せるようになり、願証寺は伊藤氏一族を長島から追い出して、16世紀中頃には、事実上の支配権を握ることとなりました。また、一向宗の本山石山本願寺も勢力を増大しつつあり、全国統一を目指す織田信長にとっては最大の敵でした。
願証寺に対する信長の攻撃は、元亀元年(1570年)11月、弟の信興が敗退したあと、元亀2年(1571年)5月、天正元年(1573年)9月、天正2年(1574年)7月の3回に及び、この9月29日遂に落城しました。長島一向一揆を有名にしたのは、信長の徹底した門徒衆の殲滅行為にあります。その数は2万人以上の人々を砦に閉じこめて殲滅したのでした。願証寺はこの時焼き払われ、その後再興されることなく正確な寺跡も不明のまま、明治改修工事によって新たに開削された長良川の河道となり河底に没しています。 
 現在の長島町又木にある願証寺は、旧願証寺の寺縁とは別のものですが、旧願証寺の長島門徒衆はこの又木の願証寺に引き継がれていると見られています。
 境内には「長島一向一揆殉教之碑」があります。


願証寺跡


長島一向一揆碑


所在地 : 三重県桑名市長島町杉江

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