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土砂災害の歴史
大沢崩れなど南西山麓の渓流から発生する崩壊土砂は、普段表流水のない河道を融雪期や豪雨期に土石流となって裾野を襲い、田畑・家屋などに被害を与えながら堆積し、堆積した土砂は洪水流によって再び下流へと運ばれ、下流潤井川の河床上昇、田子の浦港の土砂堆積を引き起こし、沿川住民はたびたび甚大な被害を受けてきました。
富士山の土石流は台風期・梅雨期のみでなく、初冬や晩春の融雪期にも発生する特徴があります。
 
災害・砂防年表
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発 生 年 月
事      項
詳細
和  暦
西 暦
元弘元年7月 1331年
大地震があって富士山の頂上が崩壊
 
宝永4年10月 1707年 大地震があって富士山噴火す  
文政11年6月 1828年 大洪水で神田川埋没  
天保5年4月 1835年 富士山雪しろ岳麓一帯を押し、未曾有の被害 天保6年の災害へ
嘉永4年6月 1851年 大暴雨によって家屋流出崩壊多数  
明治17年2月 1884年 大暴雨で岳麓一帯に大災害  
明治40年7月 1907年 芝川、潤井川、下流全面(富士宮市、富士市等)濁水で被害多大  
大正6年9月 1917年 潤井川出水と河口の土砂堆積により浸水。浮島沼を中心とした元吉原・田子の浦・加島・吉長・津戸の各村ならびに浮島村・原町に及ぶ  
昭和5年6月 1930年 潤井川増水により大被害(詳細資料現存せず)  
昭和7年6月 1932年 潤井川著しく増水、富士市潤井川橋・富安橋等が流失し、潤井川筋堤防が所々決壊  
昭和16年5月 1941年 豪雨と大沢の融雪が重なり、富士山大沢より土砂流出、潤井川の上流富士宮市内で河床1.8m上昇。下流鷹岡町・岩松・田子の浦・吉原の一円で苗代田に土砂流入、加島ではキャベツが大量腐敗し損害大  
昭和20年10月 1945年 潤井川、11日朝鷹岡町天間川合組合開水路と川久保の2箇所で130m堤防決壊、30町歩浸水、土砂埋没により身延線不通  
昭和21年9月 1946年 鷹岡町天間で250m堤防決壊、作付けしたばかりの稲が全滅  
昭和27年3月 1952年 吉原で潤井川の堤防150m決壊、床上浸水700戸床下2,300戸、耕地埋没150ha  
昭和27年6月 1952年 ダイナ台風により潤井川堤防数10ヶ所決壊、橋梁流失1、家屋千数百戸浸水、田畑1,000町歩被害  
昭和28年 1953年 13号台風により田子の浦橋上流右岸50m決壊、200町歩の水田冠水、本州製紙、大昭和製紙等も操業停止  
昭和29年 1954年 14号台風により前記箇所の上流左岸53m決壊、吉原で浸水、国道1号線が交通一時停止、国鉄も徐行運転。大小100社に及ぶ工場が操業停止、被害額100億円  
昭和31年5月 1956年 潤井川の堤防決壊、吉原市付近を中心に浸水。被害家屋75戸以上  
昭和36年6月 1961年 芝川、上井出で決壊  
昭和38年7月 1963年 潤井川、富士宮地方で15時より40分間強雨あり、市内床下浸水100戸  
昭和41年9月 1966年 潤井川の氾濫により富士宮市芝川町において床下浸水67戸、田畑冠水40ha、道路損傷5箇所  
昭和47年5〜7月 1972年 昭和47年5月1日富士山大沢崩れ源頭部の融雪による雪崩と降雨が相まって、源頭部に堆積されていた多量の土石が土石流となって、一気に山麓の扇状地に押し出し、多量の土石を堆積させ、泥流は潤井川を経て河口の田子の浦港まで相当量の土砂を堆積。扇状地の既設砂防施設に各所で損壊流出の被害発生。続いて5月5日、6月8日、7月12日と豪雨があり、その度に扇状地に土石流が押し出し、潤井川沿岸の耕作物並びに耕地に多大の災害。また8月24日(上井出付近で)静岡県最高の時間雨量153mm/hを記録 昭和47年の災害へ
昭和54年 1979年 4月8日及び5月7日〜8日の2度にわたり、大沢川で土石流が発生し、白糸の滝に通じる芝川水系の危険性が叫ばれた。また10月19日には、潤井川・足取川・風祭川・弓沢川・凡夫川・伝法沢川・小潤井川・和田川・滝川・赤渕川等で河川被害が発生。潤井川では激特、中沢川下流部を含む弓沢川流域では助成事業が採択 昭和54年の災害へ
 
   
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「天保5年(1835年)4月初めから猛暑となって世人をあわてさせていたが、5日6日となると夏のごとくであった。」
この変事によって富士山に積もっていた万年雪に異変が生じ、7日急に解けて流れ出した雪の固まりが、立ち木を倒し岩石を転がしながら山麓を襲った。
たちまち富士宮近辺の村々は泥海と化し、人馬の死亡が相次ぎ、家屋は土砂に埋まった。
潤井川は河床が一気に上がってしまい、農民たちが受けた被害は甚大で一揆に至った。
 

 

天保5年の雪代災害絵図
「富士山焼砂押流荒地絵図」岩本村文庫
国文学研究資料館所蔵
静岡県歴史文化情報センター提供に加筆
 
 
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昭和47年の災害
昭和47年5月1日及び5日の両日に300oを越える降雨があり、それに加えて異常高温による源頭部の融雪及び雪崩により、源頭部に堆積していた土砂が一気に流下し、大土石流が発生しました。その土砂は大沢川扇状地に大量に堆積し、さらに泥流は潤井川を経て河口の田子の浦港まで相当量の土砂が堆積しました。さらに6月8日、7月12日にも土石流が発生し、一部河川、道路、橋梁、水道管、取水堰に被害を生じました。7月12日の土石流で潤井川が氾濫、特別養護老人ホーム白糸寮に土砂が流入し避難をするという事態になりましたが幸い人命に被害はありませんでした。
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昭和54年の災害
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昭和54年(1979)
4月8日及び5月7日〜8日の2度にわたり、大沢川で土石流が発生し、下流域に被害を与えました。
また10月19日には、潤井川、足取川、風祭川、弓沢川、凡夫川、伝法沢川、小潤井川、和田川、滝川、赤淵川等で河川被害が発生。
潤井川では激特、中沢川下流部を含む弓沢川流域では助成事業が採択されました。
   
   
 
 
 
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