濃尾大地震(明治24年)
明治24年10月28日旧根尾村水鳥を震源として発生した濃尾地震(M.8.0)は我が国の内陸部に起こった 直下型地震としては過去最大のものでした。
震央の岐阜県北西部では断層が形成され、最も顕著なのが水鳥に出現した断層で、上下変位5~6m、水平変位2~4mに達しました。
地震による被害も7000人以上の死者を出すなど、とても悲惨なものでした。
また、明治28年に起こったナンノ谷の大崩壊等も濃尾地震によってゆるんだ地盤がその後の大雨によって崩れ 大規模な土砂災害につながったのではと考えられています。
ナンノ谷大崩壊(明治28年)
明治28年8月5日、旧坂内村ナンノ谷で大雨により大規模な崩壊が発生しました。
濃尾大地震の4年後でもあり、地震による影響を大きく受けたものと考えられています。
崩壊の一週間前、7月17日の豪雨以降、長雨が続き、特に27日以降はほとんど連続して豪雨が続きました。
そしてナンノ谷の崩壊は2度にわたって発生しました。1回目の崩壊は8月5日午後3時頃発生。これは一時渓流を堰き止めただけにとどまり 、ほどなく土砂とともに流出しました。しかし午後6時頃になって再び大規模崩壊が発生しました。推定の崩壊土量は135万m3で坂内川をせき止めて天然ダムが形成されました。
天然ダムの大きさは高さ38~109m、幅108m、長さ約1500mです。しかし、 8月11日にこれが決壊し、旧川上村、旧広瀬村、旧坂本村などで氾濫を起こし、死者4名、 流出家屋23戸の災害が発生しました。
伊勢湾台風(昭和34年)
昭和34年9月23日、台風15号(伊勢湾台風)となった熱帯低気圧は、26日午後7時に奈良県中部に、9時には鈴鹿峠付近を通り、毎時60kmないし75kmの速さで、午後11時には揖斐川流域を襲いました。
台風進路の降雨の強い右半円にさらされた東海地方は台風史上かつてない大災害に見舞われました。
岐阜県下では9月25日の午後から26日にかけて、雨は激しくなり、台風が通過する前後の数時間は 時間雨量40mmないし70mmという激しい豪雨となって、県下の各河川は数時間の間に警戒水位を突破し、各所で堤防が決壊、橋梁が流失して甚大な被害をもたらしました。
岐阜県下の被害は死者行方不明者108名、重軽傷者1,709名、家屋の流失を含む全半壊16,086棟、床上・ 床下浸水11,089棟にのぼりました。
昭和40年災害
昭和40年9月6日に発生した台風23号と、これに続く台風24号、さらに 日本付近に停滞している前線によって、多大な被害を被りました。
14日午後から南東の風が吹き込み、雨が次第に強くなり、揖斐川上流域、根尾川上流域の山間部は 局地的な豪雨にみまわれ、特に旧徳山村(現揖斐川町)、権現山(能郷白山)では日雨量700mmを越えました。この豪雨によって旧徳山村で小学校が山崩れによって倒壊し、教師が1人死亡しました。また、藤橋村 杉原地区では「東前の谷」が氾濫し流出した多量の土砂と洪水によって60世帯のうち全壊及び流失が30世帯、半壊20世帯、床下浸水10世帯という災害にみまわれた。旧久瀬村、旧根尾村においても洪水による家屋の浸水、 橋の流失、道路の損壊、農地の流失埋没等にみまわれた。
徳山白谷大崩壊 (昭和40年)
昭和40年9月14~15日にかけての台風24号に刺激された前線よる集中豪雨により、 揖斐川支川の徳山白谷で14日に大規模な崩壊が発生しました。
発生時刻は明らかではありませんが、近傍の旧徳山小学校裏や旧藤橋村東前の谷の崩壊が22時頃であることや、時間雨量(国土交通省徳山観測所)が21時~22時に103mmのピークに達していることから22時頃発生したものと推定されます。推定の崩壊土量は183万m3(東京ドームの1.5倍)で、白谷をせき止め、高さ約65mの天然ダムを形成しました。この崩壊地の周辺には人家などの保全対象が存在しなかったため、崩壊による 直接の被害は生じませんでした。しかし、天然ダムの一部決壊による洪水流は揖斐川左岸の東杉原集落付近で護岸を破壊しました。横山ダムの調節機能が発揮されたため同ダムより下流の影響はありませんでした。
根尾白谷大崩壊 (昭和40年)
昭和40年の豪雨により、根尾川支川八谷の根尾白谷でも大規模な崩壊が発生しました。
発生日時の正確な記録はありませんが、後日の聞き込み記録によると、9月25日の正午頃大音響とともに 崩れたということです。推定の崩壊土量は107万m3で、現在も土砂を生産し続けています。
崩壊土砂のかなりの部分は崩壊地脚部にブロック状に残っていますが、一部は白谷を流下して白谷中流部 を広く埋積し、八谷本川へも流入しています。深いV字谷だった白谷は崩壊土砂によって埋塞されて、幅の広い谷に変わりました。崩壊による直接の被害は生じませんでした。この崩壊地に最も近い人家のある小倉集落は辛うじて埋没を免れました。
昭和50年災害
昭和50年(1975)8月21日から23日にかけての台風6号による集中豪雨は、伊勢湾台風を上回る豪雨となり、旧坂内村広瀬では総雨量が750.4mmに達しました。この集中豪雨に直撃された旧坂内村ではいたる所で谷川が氾濫しました。特に坂本地区の友谷や、川上浅又川等では土石流が発生し、家屋全壊1戸、半壊3戸等多大な被害をもたらしました。
昭和61年災害
昭和61年(1986)8月21日から22日にかけての雨は、本巣市根尾の松田観測所で時間最大雨量104mmを記録するなど、局地的な集中豪雨となり、各地で土砂災害や河川の氾濫などが発生しました。本巣市根尾松田地区では土石流災害が発生し、特に栃ヶ洞谷では、下流の民家が土砂で埋没するなどの被害が発生しました。
平成元年災害
平成元年(1988)9月1日から7日にかけての秋雨前線の影響による集中豪雨は、本巣市根尾樽見地区を中心に総雨量600mmを超す記録的な豪雨となりました。この豪雨により旧久瀬村小津を含め各地の小渓流において土石流が発生し、家屋や道路等に多大な被害を及ぼしました。
平成10年災害
平成10年(1999)7月28日の豪雨により、本巣市根尾各地で土砂災害が発生。越波地区や下大須地区などで土砂災害が発生しました。また、10月の台風による豪雨では、旧藤橋村東横山地区の梶谷において土砂が流出し、下流家屋に被害が生じました。
平成14年災害
平成14年7月9日から10日にかけて台風6号の北上により本州付近に停滞する梅雨前線の活動が活発化し、岐阜西濃地方は時間100mmを超える雨量を観測しました。旧藤橋村東横山地区では崩壊による流出土砂や流木が防火水槽に堆積し、あふれた水により浸水被害が発生しました。また、本巣市根尾においても東板屋地区や松田地区などで浸水被害が発生し、特に水鳥地区の地震断層観察館においては全館が1.5mほど水没したため、長期間の休館を余儀なくされるなど多大な被害を及ぼしました。
台風6号が残した爪跡
平成20年災害
平成20年9月2日~3日にかけて日本海と四国沖にある低気圧の影響で、岐阜県西濃地方と三重県北勢地方では記録的な大雨となりました。9月2日からの降り始めからの雨量は揖斐川町東津汲にある小津観測所(国交省)で579mmを記録した。この大雨により各地の渓流で土砂流出が発生し、揖斐川町東津汲の下谷では土石流により国道303号が約39時間にわたり通行止めとなった。